方言が通じない。


この記事は「ふつうの広島 Advent Calendar 2015」への参加記事です。

12月13日の記事です。



広島で通じなかった方言の思い出

私は福岡うまれ→広島→岩国→広島、という土地移動をしてきました。

これは、大学生になって、山口県岩国市から、広島県広島市で一人暮らしをするようになった、大学一年生の春。それまで当然だと思っていた方言が通じなかった時のちょっと恥ずかしいという誰もが体験することと、それを通じて広島素敵だよというふつうの話です。

 

オリエーテーションキャンプ


大学一年の春。入学したての私たち1年生は、オリエーテーションキャンプ、略して「オリキャン」なるものが開催され、全学部の1年生が、バスで大移動。ひとつの施設のなかで数日すごし、アクティビティが開催され、親睦を深める、という機会がありました。いまでもあるのでしょうか?)

 

女子大なので、全員女子。大人数なので部屋はもちろん数人での相部屋です。行った場所については、何も覚えていません。みろくの里?丘陵備北公園?どこだったかしら・・・。という曖昧具合。

記憶にあるのは、ジンギスカン・バトミントンをした・そして、この通じなかった方言のこと。

 

方言:当たり前に身近な存在。


そもそも方言って、方言だってあまり意識していないんですよね。いわれてみたら、そうそう、方言。っていえることもあれば、え?これって方言なの?と驚くこともあります。たとえば岡山人がうったてが方言だと知らなかったとか(マニアックな話)。

それって、それだけ方言というものが、「身近」で「当たり前」なことなんです。

 

今回の話ではないんですが、「たう?」「たわん?」というこんなささやかなものが方言だと知ったのも、実は大学に入り、社会言語学の先生の話を聞いた瞬間でした。

※たう・・・届く :例)プールなどで。「足たう?(足届く?)」「たわんーー!(とどかない!)

 

それまでの常識を覆される瞬間ですね。

でもちょっと待ってください。「たう」が方言であるならば、普段テレビ・雑誌・漫画・ラジオなどで、明らかに「たう」を使っていない表現で私たちは言葉を耳にしているはずなんです。

ドラマで主人公がヒロインに「雑誌たわんけんとって」なんていわないんです。なのに、私たちは一切の違和感を感じません。普段であれば、自分たちが方言とも思っていない(のだからみんな使うはず)言葉を使っていない人たちをみているのに、です。

 

不思議ですね。

 

勝手な仮説ですが、身近すぎて脳内変換しているのだと思います。

とくに手の触れる現実ではなく、画面のむこう、紙の上という、「ちょっと自分の今いる世界と区画されたところ」という無意識の認識が、その脳内変換を加速させているのではと思っています。

なんだろう?意識がぼんやりとする、というか、視力でいうと、見えている世界全てを細かく把握していないのと似ているというか。

 

・・・さて。話をもとに戻しましょう。

  • 大学一年のときにオリキャンにいった
  • クラスのこと相部屋だった

という所までお伝えしましたよね。

 

その時、私は心地いい疲れを感じていました。

どこにいったのかすらあまり覚えていないので、どうしてそんな状況だったのかも、全く覚えていませんが。

おそらく、なにか班でスポーツなり散策をしたあとだったと思います。

 

友達として、心配しただけなの。


妙に鮮明に覚えています。

部屋は畳の部屋でした。ちゃぶ台のようなナチュラルカラーの丸テーブルにその子、”ミチ”と私が座っていました。

壁にも一人。もう一人は少し離れたところに立っていたと思います。

 

ほぼ初めてたくさん話す人たち。出席番号順に割り振られた班。でもミチはとても話しやすく、どちらかというと聞き上手で。雰囲気はとても大好きでした。

 

日差しは夕方になりかけの、やんわりとした橙色。

心地いい疲労感と、すこしくつろいだ空間。

ミチは丸テーブルにほおづえをついていました。

 

心地いい疲労感は「けだるさ」にも似ています。

ミチはけだるい雰囲気をすこしだけかもしだしていました。

だから。

だから。。。。

 

 

「なんかえらそうじゃね。」

 

 

私はそう、口にしたのです。

 彼女をすこし心配して。

・・・

ちなみにミチは、きょとん、とした顔をして数秒したあと、

 

「うん」

 

って表情は特に変えずにいいました。

この後の会話の続きがどうだったかあったかなかったか覚えてないのですが、ここで私はなにかを悟ります。

なにか違和感を感じたんです。

部屋のなかの穏かさは変わっていませんでした。

でも、なにか一瞬の違和感・・・

 

何かの瞬間、もしや!と思いました。思ったというか、感じたというほうが正しいかもしれません。

 

「えらい、って、、、わかる?」

 

この一言を伝えるのに、すごく緊張したのを覚えています。

山口県岩国市あたりの人であれば、気がついていないかもしれませんね。

「えらい」は、偉くないんです。

 

「えらい」は偉くない。


ミチはとくにこわばりもしない(笑顔でもないけど)きょとんとした顔で、

「・・・ううん?」

といいました。

 

瞬間の安堵感。でも誤解をとかなければ、という新たな緊張。

みなさん、お気づきでしょうか?もうおわかりになりましたよね!

「えらい」って方言だったんです!

 

私は好印象も持っていたし友達になりたての彼女に、

「えらそうじゃね」ってゆったんです。

でも、偉そうだなんておもってないんです。

この何気ない、でも、時には人を憤慨させかねない一言は、

 

「なにか疲れてない?大丈夫?そうだよね。今日なんだか疲れたよね。」

 

という意味だったのです。

 

「えらいって、偉いじゃないよ!エライなんだよ」

 

なんて聞きてにとっては意味不明な言葉を連ねました。

恐ろしいことに、発音も同じです。

 

あやうく友達に「あんた偉そう」なんて喧嘩をふっかけたすごいひどい人になるところでした。

あの一瞬の違和感にきがついて、フォローできた自分を褒めてあげたい!

 

そして、「あぁ〜そういうことか〜」とほややんと受け入れてくれたミチも万歳。

なんて素敵ガールなのでしょう。

 

 

まとめると、広島万歳


広島は今ではほぼ地元ですが、

県外から広島に来る人も多いと思います。

方言を無意識レベルで言葉にするのは、あたなにとって身近で生活に寄り添ったもので、当然のこと。だけど、言葉によっては誤解を招くことがあるかもしれません。

 

でも、大丈夫。

言葉が怖いとか汚いとか怖い人たちがいる映画あるし怖いとか粋がった若者が集まって歩行者天国のお祭りがしばらく歩行者天国自粛された土地で全国ニュースになってたとか、そんな先入観は捨ててください。

 

面とむかって「えらそうじゃね」とゆった日の浅い友人の言葉を、意味も理解していないのにまったりと受け止め、まったりと理解するような人がたくさんいる。それが広島です!

 

と、いうことで、

今回は広島で方言が通じなかった少し恥ずかしい体験談を通じて、広島素敵なところだよ、ということをみなさんにお伝えしました。

少しでも広島を好きになってもらえたら幸いです。

 

また来年ー


そういえば。広島の、とかではないですが、

「なすび」も方言だそうです。「なす」が標準語。

 

 

では、また来年!

 

 



コメントが付くなら優しい言葉だと嬉しいです。

 

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コメント: 2
  • #1

    はら たかし (水曜日, 16 12月 2015 22:48)

    留学していたイギリス人が、八百屋に言って話しかけたら「あ~ほ~!」
    (ああそう)といわれて、勘違いして、馬鹿にされたと思い国に帰ると怒っていたので、日本人が方言について説明しなだめたt歩言う話があります。
    台湾に行ったとき、「はい」の意味で「はあ!」(好)という言葉を言われて、意味はわかるが違和感がありました。

  • #2

    ながしま (水曜日, 16 12月 2015 22:51)

    はらさん!
    そうなんですね!確かに怒っちゃうかもですねー(OvO)

    方言って、知らないと難しいのはあたりまえだし、似たようなべつの意味ってびっくりしますよねー( ´ ▽ ` )ノ